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2018年2月3日土曜日

報道番組


最近テレビに出ないケントさんのお話し。
子供の頃、漫画ばかり見てよく怒られたが、テレビは漫画の方が子供にとってもましなようだ。







ケント・ギルバート 娯楽化した報道番組

2018年02月01日 公開

ケント・ギルバート(米カリフォルニア州弁護士)


 本来、メディアの最大の役割は、事実を事実として、よけいな色をつけずに報道することですが、戦後のメディアの多くはGHQの影響を受けたせいで、そんな基本的なことさえできなくなってしまいました。その最大の理由の一つはもちろん、メディアを左翼人士が牛耳ったからにほかなりませんが、それ以上に報道番組が「娯楽化」したということもあると思います。

 報道番組を最初に本格的な娯楽に変えたのは、おそらくは久米宏氏だったと思います。久米氏は1982年から始まった日本テレビ系列の『久米宏のTVスクランブル』で、日本国内のさまざまなニュースを取り上げ、それに笑いを交えることで大きな視聴率を得ました。コメンテーターには、漫才師の横山やすしさんが起用されていて、毎週、相当ギリギリの、おそらく今であれば危なすぎてどこも自粛するような内容を平気で話していました。

 しかし、それがある意味で、自分たちの意見を自由に言う出演者、つまりコメンテーターが市民権を得るようになった原因だと思います。テレビ業界に風穴を開けたのです。                                                     

 私もかつて、TBSの『サンデーモーニング』に放送開始から10年間レギュラー出演していました。その当時は、みんなでかなり自由かつ真面目に議論をしていたことは間違いありません。

 これはある意味で、テレビ界の革命だったのかもしれません。時代の風雲児のような久米宏さんは、少しでもニュースを面白くさせ、視聴者を楽しませようとしたのでしょう。結果として視聴率が良かったせいもあり、それが同時に、日本の報道番組全体が徐々に娯楽化するきっかけになったのだと思います。

 これ以降、バブル時代に突入した影響もあると思いますが、とくにテレビは「派手で面白ければよい」ということが何より重要になり、今この瞬間にどういう問題があり、それに対してどんな意見がひしめいているのかという「ファクト」を真面目に追いかけることが軽視されるようになったのです。

 一方、アメリカの主要な報道番組では今日でも、コメンテーターが意見を述べるのは、特定の問題に限ったコーナーの中だけで、基本的にはキャスターだけがしゆくしゆくとニュースを伝える形態を崩していません。

 しかし日本では、アイドルやタレント、それによくわからない学者が、それこそ、したり顔でいちいちコメントします。詐欺事件のニュースで「怖い世の中になりましたねえ」と困った顔で嘆き、その直後の殺人事件では「犯人は早く捕まってほしいですね」と祈るように言い、次の火事の事件では「お気の毒ですね」と同情する素振りを見せ、最後に犬猫などのペットのニュースが流れると、「カワイイ!」などと、キャピキャピはしゃぐだけです。そんなコメンテーターが、皆さん、本当に必要ですか?

 そんなものを流す時間があるなら、「もっと世界で起きている災害やテロ、金融や政治の情報を一本でも多く流してくれよ!」と思うのは私だけでしょうか。日本の報道番組は、質・量ともに、どんどんレベルが低くなっていると感じます。

 コメンテーターやメインMCに基礎的な知識すらなかったり、左翼思想にかぶれていれば、もう事態は最悪です。安保法案の審議のころは、普段は政治のことなどまともに考えたことさえなさそうなアイドルやタレントが、もうほとんど全員、法案に対してわざとらしく懐疑的なコメントをしていて、画面を見るのもイヤになったくらいです。おそらくそうしないと、次回から番組に呼ばれないのでしょうけど。

(本稿は、ケント・ギルバート氏著いよいよ世界に本当の歴史を発信する日本人』〈PHP文庫〉より一部、抜粋したものです)