2017年8月10日木曜日

2017年8月9日水曜日

大東亜戦争と太平洋戦争。

1945年8月6日に広島、そして1945年の今日と同じ日に長崎にアメリカ軍により原爆投下が行われた。そして8月15日、まもなく終戦記念日を迎える。

1941年12月8日に行われた真珠湾攻撃の宣戦布告の後、当時の日本政府は閣議決定でこの戦争を「大東亜戦争」と命名した。
それ以後日本では、ポツダム宣言を受け入れて無条件降伏するまでのあいだ、この戦争を「大東亜戦争」と呼び続けており「太平洋戦争」などとは呼んではいなかった。
しかし、戦後、GHQによりこの戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことが禁止され、代わりに「太平洋戦争」の名称を使うように強制された。

そもそも、日本がこの戦争を起こした目的は、インドから東南アジア、中国大陸、日本列島に至る「東アジア(東亜)」から欧米諸国の植民地政府を追い出し、彼らの人種差別に苦しむ時代を終わらせ、日本を中心に「大東亜共栄圏」という共同体を構築することで新たな秩序を築くことだった。
「大東亜戦争」という名称に、そのような「大義」を表していたのだ。

アメリカをはじめとする連合国は、日本が「大東亜戦争」を起こす以前に自分たちが東アジアで行っていた残虐行為を指摘され、その欧米諸国の残虐行為を東アジアから追い出そうとした日本(日本=正義)というイメージが日本人や東アジアの人々の間で共有されることを恐れた。

そのため、そのような日本の戦争大義の表われである「大東亜戦争」という名称を禁止し、代わりに「太平洋戦争」という名称を強制したわけである。
つまり、「太平洋戦争」という名称には、戦前に東アジアで行われていたことや、それに対抗し改善しようとした日本の姿勢を隠蔽し、これらの地域(東アジア)の歴史から我々日本人の意識を逸らす効果があるわけだった。

そのようなGHQの方針により、報道や教育の場から「大東亜戦争」の名称が使用できなくなったため、我々日本人にはこの点(戦前の東アジアがどのような状態だったのかという点)についての知識が欠落している。
ちなみに、この戦争以前には、東南アジア諸国やインドはことごとく欧米諸国の植民地で、それらの国々の植民地政府により全てが決定され、独自の政府も認められていなければ、軍隊も当然なかったため、一方的に搾取されるだけ搾取され、苦しめられていた。

そして、
この戦争中に日本はそれらの欧米諸国(アメリカ、イギリス、オランダ)の植民地政府を追い出すことに成功し、それぞれの地域の住民による政府と軍隊を創設した。
それにより、日本の敗戦後、再びそれらの地域を植民地化しようとした欧米諸国と独立戦争を戦うことができるようになり、現在の独立国家を勝ち取ったのだ。
つまり、連合国がこの戦争の名称を「大東亜戦争」から「太平洋戦争」へ変更させたのは、上記のような「東アジア諸国を欧米植民地から独立させたのは日本である」という歴史的事実を我々日本人に対して隠蔽し、  日本人は過去に悪いことをしたのだという罪悪感だけを強烈に植え付けるための占領政策だったのである。

「太平洋戦争」という名称はそのような占領政策により生まれた、我々をマインドコントロールするための道具なのだ。

この事実は日本人として、必ず知っておかなければならないと私は思う。

未来ある子供たちのためにも。