2012年10月11日木曜日

第20回日本山岳耐久レース/ハセツネ 71.5km

10月8日月曜日
とうとうレース当日。
自分にとって今迄で一番長いレースだ。
会場に着くと斎藤さんとあくちゃんのクルマがあった。駐車スペースはその隣りしかなく、何だか今回ハセツネチャレンジするメーカー三名がクルマも並んじゃってるし。


レース前は当然お仕事。
アートスポーツの出店のお手伝い。


ショッツの伊藤さんも到着。
その頃にはもう会場は満員御礼。
と言うのも外は雨。エントリー会場の体育館の外では待つ場所がなく、中はギッシリ。商売にはいいねぇ。


ベスパ斎藤さんもお手伝い&出場。
この会場に来るようになって三年目だが、初めての頃に比べて随分知り合いが増えた。
それだけでもちょっと楽。


スタート直前、相馬さんに会えた。気合い十分。
「田村さん、それ厚着し過ぎ」とダメ出し。
急いで脱いだ。



午後1時にスタート。
スタート後、トレイルに入ると直ぐ渋滞。ウワサ通り。



そこから先は写真を撮る余裕はなかった。渋滞した分、休憩を先送りにしたのでスタート後17時30分まで4時間以上ノンストップ。
それほど疲れなかった。
ただしこの第二関門の月夜見までは長く感じた。到着は午前2時過ぎだった。ここでようやく半分ちょっと。
長いわ。



そんな素人は蚊帳の外、午後8時過ぎからトップ選手がゴール。
右の近藤選手が二位、相馬さんが四位。
五位には山田琢也くんが入り、上位六名中三名がZENアスリート。
立派です。


とにかく、このストックがほんとうに役に立った。
これを使うと使わないでは全く訳が違う。
特に自分のように非力な下半身にとっては大きな助けになる。
長距離ではいつも腸脛靭帯が痛むが、今回は全く平気だった。
またストックワークはサーフィンのパドリングそのもので、ここに体力を使ってもパドルでなれているだけに心拍数も上昇することなく、上半身の疲れも問題なかった。
それでも最後は握力無くなり、肘に少し痛みを感じだした。
ほんとうに長い距離なのだ。
松井さん撮影。



そして素人はてくてく歩き、夜もあける。
この風景の下方に明け方からヘリがけたたましく飛んでいる。選手が滑落した模様だ。
山も危険で一杯だ。なめては行けない。
最後まで集中。


自分がハセツネのことを知ったのは3年前。トレランを知ったのも4年前。トレランはzenの仕事において重要なジャンルと思ったので自分もそこに入って行かなければ行けないと思った。でも、ハセツネは大会の趣旨を聞いて「やってみたい」と純粋に思ったのだ。

ただ選手や出場した回りの人の話しを聞くと生半かな気持ちや体力では完走できないというのはすぐわかたので、去年の出場は断念した。

心肺機能はサーフィンのおかげである程度のレベルはキープできているが、それは上半身の運動に寄るもので、自分は下半身を鍛えなければならなかったが、とにかくランが苦手だった。
練習が得意でないので、レースに出たり、山に登ったり、ロードバイク、トライアスロンとこの1年は実践で体力を付けることにした。



おかげで今回のレースのほとんどは安定していたが、日の出山を登りきった後、下りで急にふくらはぎがパンパンになる。
もうカラダが「限界だっ」て言ってるのがわかった。
そこからゴールまで比較的なだらかなコースだったが、完走が目的だったのでとにかくマイペースで歩くことにした。

その時間はこのレースの中で最も長い時間に感じる。




最後2kmになったところで「よし走ろう」と思い、今回のレースで唯一走った。
意外と走れたのにビックリ。
ゴール手前500mのところまで来ると、人がぱらぱら応援していたが、一人手を振る男性がいる。
相馬さんだ。
すごく嬉しかった。

そこから400m一緒に走る。相馬さんがあれやこれや話しかけてくる。よくみると相馬さんはサンダルだった。
残り100mで相馬さんはダッシュしてゴールに戻ってみんなに伝えに行ってくれる。
そしてゴール。走ったおかげで22時間は切れた。また「ズッと歩いたら完走できる」っていう言葉がいかに甘い言葉かが痛感した。



今回はとにかくいろんな人たちのおかげで完走できた。
アートスポーツ松井さん、近藤さんを始めスタッフのみんな。
そしてショッツ伊藤さん。




ベスパ斎藤さん、ニューハレ・アクタ君。サロモン室ちゃん。




そして相馬さんと相馬さん一家。

すべての人に感謝!
そして専務にも。



素晴らしかったzenアスリート。
1位ダコタ選手
2位近藤選手(ZENアスリート)
3位菊島選手
4位相馬選手(ZENアスリート)
5位山田選手(ZENアスリート)
6位奧宮選手



彼らにも感謝。

来年は、どうする?